ギャラリーBとCの作家さんのこと
土曜、日曜日とも天候が悪かったにもかかわらず、多くの方々が足を運んで下さる。立地条件は抜群であるし、同じフロアのギャラリーCでは空の写真家として人気であるHABUさんの展示もあるし、その流れで観て下さった方もいるのだろう。
そのHABUさんが10年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、写真家を志してオーストラリアに旅立ったのは今の私と同じ32歳の時であるとのこと。それから写真家として衆目から認められるまで、10年以上苦労を重ねられたとのこと。よくぞやり抜くことが出来たモノだと思う。
また、隣のギャラリーBの作者は、同じく地方新聞社をイラク戦争を機に脱サラし、フォトジャーナリストとしてバリバリ活躍されておられる方。ちなみに、初日の夜に魔の巣窟?ゴールデン街の呑み屋にお連れしたら、喜んで貰えたようで何よりであった。
そのお二人の数分の一のことすら為しえぬ私ですら、人から写真をよく続けてきたなとか、発表できるなんて素晴らしい、云々を幾度と言われる。そういうときは大体「そう望むならば、口ではなく身体の方が先に動いているはず。そうではないのか?」といった内容を答えている。現に、今の私の手では届かないようなシゴトをされた方々は私の何倍も動いているし、あくまでもその動いた結果を享受しているに過ぎないのが事実だが、こんな単純なことに気付けないのだろうか。実際のところ先の決まり台詞?も、結局は半分以上自分に言っているようなものなのである。
ふと思ったのだが、私の場合写真を撮り続け発表することで、何を望んでいるのだろうか?生計を立てる手段として、ギャラと引き替えに写真を撮ることを望んでいるなら、そのように動くだろう。現にそのように動いた時期もあった(ちなみに、私が初めて持った名刺の肩書きは”カメラマン見習い”・・・せめて”アシスタント・フォトグラファー”と位は書いて欲しかったものである)が、ものの見事に?少なくとも今の時点では商業カメラマンにはなり損なっている。また、単にライフワークとして楽しむだけの写真なら、わざわざ”私的な記録”などと称して社会ネタを選ぶ理由などないことも確かである。また今のシゴト柄、写真の普及活動で壇上に立つ方々の姿も多く見てはいるが、少なくとも私の将来像として現時点では全くイメージできない。
そんなこともあり、私もHABUさんからギャラリーで買った著書にサインを頂く。自身への戒めも込めて・・・などと言いつつ、実際はHABUさんの写真やサラリーマンから写真家に転身したという生き方に前から興味を持っていたし、土曜日のトークセッションを半分以上聞き損なったので、ちょっと悔しい・・・ただそれが言いたかっただけのことである。