表題は何のことかと言うと、拙作「終わらない劇場」の英語の表題。清里フォトアートミュージアムから今日届いた展示の図録にそう書いてあった。その単語の羅列から連想したことを少しばかり。
私自身”ぼちぼち”だの”消化不良”などと言いつつ、相変わらずギャラにもならない写真を撮り続けている現状であるが、以前に比べれば”それなり”の自信を持ってはいるつもりではある。だが、皆写真が上手い。シゴト上、ハイアマチュア向けコンテストの入賞作品展などに行くとそのディテールの鮮明さに凹み、同じ図録に出てるような同年代の作家さん達の作品見てると、その取り組みや被写体に対峙する”覚悟”の歴然たる差に凹まされるのである。
ハイアマチュアのカメラマンには画としてのディテールに及ばず、プロのカメラマンとして飯を食ってる人たちには技巧と営業力と社会的信用に及ばず、そして同年代の作家さんにはその覚悟に及ばずか。現状における私の立ち位置とはこの程度のものである。
そんなわけで、無理矢理こじつけると私自身が人生を通して演じ続けるであろう”ネバー・エンディング・シアター”とやらの結末は如何なるものか。まだ脚本の続きは白紙であり、どんなストーリーを書き入れるかは自分自身であることだけは、十分に承知しているつもりである。