一月最後の日に
正月のことを少しばかり。被災地への旅のこと。そろそろ記憶がおぼろげになりつつあるので、書き留めておく。
年明けを挟んだ4日間で釜石市・大槌町・山田町・大船渡市・陸前高田市・気仙沼市を巡る。移動手段は主にバス。途中下車を繰り返して、なるべく多くの場所を見て歩く。
震災からは9ヶ月。瓦礫の撤去だけは進んでいた。が、瓦礫の撤去だけ。何も、根本的には解決してはいない。バスで移動していると、町と町の間の谷間などに瓦礫の集積場が幾つも。この瓦礫は、全て過去にあった営みの断片。一度は見ておくべきものだろう。
気仙沼に向かう列車の中で話した初老の夫婦から聞いた話。仙台で被災。家は大した損壊はなかったが、インフラの復旧が遅れ(特に水道)かなり不便な生活を強いられたそう。
そんな暮らしの中で、一番思い知ったことは、この世界とはを目で見るものではなく、心で見るものだったとのこと。ガーデニングが好きで花を育てているが、未だに花の色が見えない。別に家が壊れたわけでも、家族を失ったわけでもないのに、未だに全てが灰色に見えているのだ、と言う。災害で身内や友人を失った人々の傷みはいかばかりか。
撮影は控えめ?である。ものの創り手として、どうなのかいかんと思いつつも、眼前に広がる風景に圧倒されてばかり。自然に対する人間の無力さとその場所を襲った悲劇への哀しみ。ある意味、撮影のことなどどうでも良くなっていた。その分、何かを心に刻んだ旅であったことは確か。
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