食あたり
一昨日の夜明けに食あたりをおこしてしまい、昨日まで絶不調だった私。
そんな私の様子を見たシゴト場の同胞曰く、
「このタイミングに食あたりって、グルーポンのおせちでも食べたのか?」
・・・あのですね。
一昨日の夜明けに食あたりをおこしてしまい、昨日まで絶不調だった私。
そんな私の様子を見たシゴト場の同胞曰く、
「このタイミングに食あたりって、グルーポンのおせちでも食べたのか?」
・・・あのですね。
12月31日 大晦日。これまでの旅行疲れか、出かけることなく部屋の整理。夕方に買い物で新宿へ。手打ち蕎麦屋で年越し蕎麦。PCに向かっていたら、何となく年越し。昨年までだとカウントダウンイベントにカメラ持って出かけているはずだったのだが。
1月1日 午後から成田山へ。作品撮りというよりは、年賀状の写真を撮りに。だが、作品撮りでは偶然ながらも思わぬ手応えあり。これだから、写真ってやつは分からない。
今年はインクジェット用官製年賀ハガキがあることを忘れていて、間違って普通の年賀状を買ってしまう。画像の品質は今ひとつだが、まぁ仕方ないか。
1月2日 新宿をふらつく。今年は新宿界隈を多く撮り歩く予定なので、慣らし運転のつもりで。この時期は陽が低い。正午を回った段階では、既に遅い。もう少し、早く家を出ることを考えなければならないな。
1月3日 青春18切符の消化試合?である。場所は特に決めてない。何となく武田神社を目指して甲府へ向かうが、途中立川あたりで気が変わる。大月から富士急行で、河口湖へ行くことに。駅の近くでほうとうを食べてから、川口湖畔を歩く。
湖畔でウエディングドレスとタキシードのカップルが写真撮ってた。傍らで会話を聞いてたら中国語のようだ。古くからは台湾、最近では中国の富裕層のブライダル写真の前撮りが日本では考えられないほど大がかりであるという話を聞いたことがあるが、どうやらそれは本当らしい・・・というか、こんな寒いのにようやるな。
河口湖畔から、富士吉田まで2駅歩いたら、ちょうど日暮れ。それなりに戦果あり。
次の週末、また信州方面を予定。
長岡から越後湯沢の間に塩沢という駅があった。
そういえば昔、”塩沢とき”というタレントがいたっけ?”とき”というだけあるから、やはり新潟出身なのだろうか・・・で、帰宅してからネットで検索してみたら、新潟とは特に関係ないらしい。むしろ印象に残ったのは、数回に渡るガン手術との壮絶な闘いの人生を送った方だったようで。
上越線に乗ってて湧いた、素朴な疑問の思わぬ答え。
12月29日零時前。また白馬行きの夜行に乗車。何が好きでこんな年の瀬に青春18切符の旅に出かけるのやら???
12月30日早朝。白馬着。氷点下の世界。そこから折り返し臨時駅ヤナバスキー場前へ。そこから白馬方面南小谷行きでまた引き返す。何だかややこしいが、白馬から南小谷までの座席を確保するための工夫(悪知恵?)。現に、同じことを考えている人は何人かいた。
が、それが原因で、南小谷から糸魚川への次の列車で座席を確保し損ねる。座席に座っていては、向かいのホームにいる乗り継ぎで後ろの方になるのは仕方ないところではある。朝から50分以上の立席で下らないところで体力を消耗してしまっては・・・と思いきや、実際9時前に糸魚川に着いてみると身体が軽い。どうやら、その50分の立席がウォーミングアップになっていたらしい。天候は曇り。即、撮影開始。
糸魚川といえば、糸魚川構造線。なんだか、撮影にあまり関係のないキーワードばかり思いつく。レンタサイクルで、海沿いを走る。荒波の冬の日本海まで来ちまった・・・お寒いのは身体だけではなく、一人ボケツッコミも含まれるらしい。
2時間くらいで直江津へ向けて移動。車内で糸魚川の駅弁、田舎ずし。一見、8個の笹ずしで1000円オーバーと安くはないが、挟まれている具が一つ一つ違って、何が出てくるか分からない楽しさはある。
昼前に直江津着。レンタサイクルを借りようと思ったら、雪のシーズンなのでやってないそうな。仕方ないところか。徒歩で市街地を中心に歩くこととする。思えば、近くの春日山といえば、上杉謙信公の本拠地である。越後と言えば新潟のイメージだが、戦国の世でいう越後は実際のところこのあたりが中心地だったということか。そういえば新潟市に城らしいものはなかったなと、後で調べたら江戸時代は天領だったとこのこと。
で、市街地を少し外れると雪、雪である。ホームセンターの駐車場の端で除雪作業により山積みになった雪の壁、高さ5m越。都内では考えられん。本当に生活と共に雪があるという感じである。
続いて、信越線で妙高高原。別にスキーをしに行くわけでもない。これまた駅前をうろつく。駅の近くに廃墟となったマンション。”五輪”とか書いてる。長野オリンピックの残照だろうか。
そろそろ暗くなってきた。新潟に向けて出発する。夜行で東京に戻るため。車中で時刻表をよく見ると、越後湯沢から高崎まで新幹線に乗っても3500円位。ならば、ショートカット?を使っても良かろう。ということで、急遽長岡で降りて、越後湯沢、高崎と乗り継いで一路東京へ。11時過ぎに中野着。
今回は、糸魚川と妙高高原で手応えあり。
12月24日零時前、白馬行きの夜行に乗車。何が好きでクリスマスイブの夜に青春18切符の旅に出かけるのやら???
12月25日早朝 信濃大町着。すぐに松本行きへ。松本から中央本線で名古屋に向けて南下。
9時過ぎに木曽福島着。天候は雪。寒い。身体の動きが鈍い。動けない。駅前の土産屋で蕎麦を食べて身体を暖めることに。すんきそばという、カブの葉を発酵させた酸っぱい漬け物と一緒に煮込んだ不思議な味の蕎麦。何故か店にあった鬼平犯科帳にハマってしまう。時計を見たら10時を回っていた。こりゃいかん。撮影。雪降る町をふらふらと歩いて撮影。寒い。
次の目的地、恵那。13時半頃着。別に恵那にこだわる理由はない。なんとなくである。天候は曇り。2時間ばかり町を散歩。そこからどこへ移動しようか迷ったが、可児にする。理由は単純。可児才蔵という名前が、頭をよぎったから。
4時前に可児着。駅前が再開発中。日暮れまで撮影し、岐阜経由で名古屋へ。
名古屋から地下鉄で大須。大須観音はまだ25日だというのに、すでに謹賀新年と看板が出てた。夕食に味噌煮込みでもと思っていたが、大須の商店街で”スッポンラーメン・スープ完食率97%”という挑発的な看板を発見。ほんまかいなと思いつつ、そのスッポンラーメンとやらを食す。野菜が効いた甘いスープで確かに美味かった。徒歩で名古屋駅へ戻り、大垣へ。東京行きの夜行に乗車。
12月26日 帰宅せずに早朝の横浜で下車。伊豆半島へ。9時前に伊豆急下田着。
下田と言えば、下岡蓮杖(日本での商業写真の祖)。写真に携わる者であれば忘れてはいけない?ことなのだが、すっかり失念していた。記念館に出かける時間はなさそうなので、ひとまず下岡蓮杖碑へ向けて歩き、市街地をうろつく。その後、伊東、網代と適当に下車して撮影。暗くなってから帰宅。
今回は、可児でそこそこの成果。
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