2010/3/18 木曜日

創っているのは’写真”である

Filed under: 制作日記 — 作者 @ 22:17:42

 プライベートでの話。デジタルカメラを使っていると、逃れられないであろう台詞。

 「画像データをくれ。」「出来れば、撮影したデータが一式欲しい」

 毎度のこととはいえ、ことあるごとに不快なものである。修正・消去簡単で安易な”データ”の集合体程度の認識らしい。私が造っているのは断じて”データ”ではない。”写真”なのだ。その”データ”作りとやらにも知識や経験則に裏打ちされた最低限の技と、必要な手間暇というものがある。実に報われないモノである。経験豊かなプロだとしたら、なおさらだろう。そんなことから、私はある時から基本的にデータを渡すことを一切やめて、一手間かかるがプリントで渡すことにしている。

 写真として大切にはされないであろうCDやらDVDで自身の手をかけた”写真”を”データ”として安易に渡す気はさらさらないわけで、ケチだと思うのであれば嗤うが良かろう。

 だったら、フィルムで撮れば良い?そういう問題ではない。シゴトの質とその評価のギャップの話である。当然のことながらシゴトの撮影で契約上、画像データ支給を前提にしていたり、物事の進行上どうしてもデータ支給が避けられない場合は別の話。

 とはいえ、モノの創り手を自認する人、もしくはそうありたい人ほど、声を大にして言うべきことである。創っているのは’写真”であると。まぁ、大言壮語言いたい放題はこの辺にしておきましょうか。

毎年のことながら

Filed under: 制作日記 — 作者 @ 22:16:43

 シゴトで横浜のCP+会場。毎年のことながら、ミイラ取りがミイラになった?ような気分にさせられる。土曜日は過労がたたり、風邪引いて寝込む。プリントもWebもやらなければいかんのに。

2010/3/9 火曜日

大凡のスケジュール

Filed under: 制作日記 — 作者 @ 1:18:02

 早くも写真展のDMが出来上がる。流石に今からだと早すぎるので、もう暫く経ってから発送することとしよう。GW明けくらいを予定。

 で、大凡のスケジュール。今回は写真加工は外注。会場の指定業者さんに確認したら、4月末までにプリントを用意することが必須。そうすれば、写真をセットした状態で会場まで持ち込んでくれるとのこと。楽でよい。そう。結局はタイム・イズ・マネーなのだ。そこから約30点のプリントを出力することを想定する。やはり4月いっぱいは必要。

 それと主催者のサイトに”作者の撮影ノート”というコーナーがあるのですが、それにも掲載して頂く予定。もちろんリンクもお願いする予定なので、Webを更新するとか言いつつ全くといって良いほど手つかずではありますが、もう少し作り込んでおく必要はありそうです。

 ただ、また自分の顔写真がいるのですよねぇ。困ったことに、いつぞやのTopEye誌以来、自分の顔写真なんて撮ってもいない。またセルフポートレート撮って、自分の顔をPhotoshopでレタッチしなければならないのか???

雨の週末日記

Filed under: 制作日記 — 作者 @ 1:16:25

 土曜日:家の掃除・洗濯。部屋干しトップ大活躍。それと休養。
 日曜日:昼間は久しぶりに鬼教官。友人にデジタル一眼レフに関するレクチャー・ハードウェアの実用基礎知識篇。夜になって、デジタル一眼の動画機能について、いろいろと調べもの。動画機能はなかなか面白そうだし、試しにD5000あたりで遊んでみるのも良いかも知れない。フルHD動画にさえこだわらなければ、ハードディスクを増設してひとまずiMovieでも動かせないことはなさそうだが、ツボにはまったら最終的にMacProに手を出しかねないな。いろいろ高くつきそうなので、展覧会が終わるまでは暫く自重した方が良さそう。

2010/3/1 月曜日

早くも3月

Filed under: 制作日記 — 作者 @ 0:57:55

 このところ、多忙にかまけてロクにブログを更新しておりませんが、時間が過ぎることの早いこと。青春18切符の季節になりました。今回は忘れずに指定券を買い占めております。低予算でも確実な成果を挙げたいところです。
 それと展覧会まで3ヶ月を切りました。セレクトの再検討と、プリント作業をぼちぼち始める時期です。

2010/2/18 木曜日

ウィークポイントとか今後の方針とか

Filed under: 制作日記 — 作者 @ 0:55:16

 作品を発表しようとする都度、事前に見て頂いている方がいる。前回の発表以来3年ぶりの再会。

 見せたのは当然、次回発表予定の”終わらない劇場”シリーズ。そのビジュアルや構成については、ウィークポイントと考えていた点をほぼ想像していた通り的確に指摘された。やはり見るべきところは見られている。

 ただ今回久しぶりに話をしてみて、堪えたものがあるとすれば、どんなに仮に作品がこれから良くなったとしても、その性質上継続し続けることによって、私自身が社会的・経済的にハッピーになってゆく姿が全く想像できない。奇跡でも起こさない限り。何かそんな打算はあるのか?という目の前の現実についての話である。確かに私自身、うすうす感づいてはいる。そういう形で皆作品を創るのを辞めてゆくのだろうか。

 そういえば、ある業界紙にJuna21クロッシングカオス展についての記事があった。展示自体は銀座で見たが、正直なところ招待作家の人選が随分とばらついているな、という印象を抱いていた。続きを見たかった作家さんもいたのだが。

 その記事を読んで、おぼろげながらその理由が分かるような気がした。制作活動などというものは、様々な事情で続けてゆくこと自体が本当に困難であるという現実がある。あとは本人の意思次第ということらしい。

 ただ、少なくとも私について現時点で分かっていることは、次回の展示が断じて最後にはならないだろうということ。一太刀浴びせずにはおくものかということである。展示が終わってからも、そんな大言壮語?を吐いていられるよう、少ない絶対量の中からでも、とにかく作品の完成度を高めることに努める以外の選択肢はないだろう。

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